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日本ケルト学会の公式ホームページです。

 「ケルト学」は古代ギリシャ・ローマの文献で「ケルト人」「ガリア人」などと呼ばれる人々に関連する研究、および18世紀に新しい言語学上の分類名称として登場した「ケルト語」を共通項とする諸地域(アイルランド、スコットランド、ウェールズ、マン島、コーンウォール、ブルターニュ)に関連する諸学の集合体です。ケルト学の研究分野は言語学、文学、文献学、社会学、歴史学、考古学、人類学、民俗学、政治学、美術、音楽などの多方面に及びます。日本ケルト学会はこれらケルト学の諸分野における研究および成果の紹介を推進する一方で、欧米のケルト学やケルト概念の歴史的・批判的検討、さらにはケルト諸語地域の文化と日本文化との比較研究等を行っています。
 主な活動としては研究会、研究大会開催のほか、会員向けに「ニューズレター」(年2回発行)、学会誌『ケルティック・フォーラム』(年1回発行)を配布しています。

 

 

2025年8月2日(土) 14時30分~17時30分

会場:神奈川大学みなとみらいキャンパス  1階1036教室(米田吉盛記念ホール)
※会場は1階奥の一番大きなホールとなります。前回の会場は3階教室で、受付で入構証を受け取って頂くようにしましたが、キャンパス1階に限っては一般にもオープンにされているため、今回は受付での手続き(入構証の受け取り)は不要で、メインエントランスから入って、向かって後ろ側にあるホール入り口に進んで下さい。

発表者:佐藤亨氏(青山学院大学)
発表タイトル:北アイルランドを再考する
 1998年のベルファスト合意、2020年の英国のEU離脱(ブレグジット)。いま、北アイルランドはポスト紛争に加え、ポスト・ブレグジットの時代に入った。こう書くと、新たな時代の幕開けに入ったように響くが、事はそう単純ではない。
 和平プロセスの進展はたしかにテロなき日常をもたらした。しかし、住民は依然として宗派別に棲み分けをしている。そして、ブレグジットは住民に、英国(UK)の一部である北アイルランドの存在意義それ自体の問い直しを迫った(EU離脱をめぐる国民投票を地区別にみると北アイルランドは残留派が離脱派を上回った)。これに宗派別人口の変化が加わり、北アイルランドの行方も問われることとなった。2021年国勢調査によるとカトリック系住民がプロテスタント系住民を上回ったのである。アイルランドの南北統一は実現するのだろうか?
 また、北アイルランド議会にも変化がみられる。2022年の議会選挙(定数90)では中立を掲げるアライアンス党が躍進した。前回より9議席多い17議席を獲得し、カトリック系のシン・フェイン党(27議席)、プロテスタント系の民主ユニオニスト党(25議席)に次ぐ第3勢力となったのである。北アイルランドは二項対立的社会を脱することができるのだろうか?
 発表では民族、帰属意識、宗派など、さまざまな要素が複雑に絡み合う北アイルランド社会の問題を、1990年代半ば以降、現地で撮影してきた写真(ミューラルやグラフィティなど)を通して紹介する。


 

 

2025年度の研究大会は10月4日・5日に大東文化大学板橋校舎にて開催されます。詳細が決まり次第お知らせします。

プログラムはこちら

 

九州支部研究会のお知らせ

日時:2025年4月26日(土)14:00∼17:30
場所:西南学院大学 中央キャンパス 1号館 205号教室

報告1.
論題:「J・R・R Tolkien「水の辺村の合戦」再考察」
報告者:島居佳恵氏(福岡女学院大学)
要旨:
1. 悪の観点から
J・R・R TolkienのThe Lord of the Rings『指輪物語』には多くの戦いの場面がある。一つの指輪を巡る一連の戦いであるWar of the Ring(指輪戦争)の決着がついた後、指輪の破棄という使命を果たしたホビットたちは、恋焦がれた故郷、ホビット庄に帰還し、その後、The battle of Bywater(水の辺村の合戦)を戦う。これまで注目されることの少なかった水の辺村の合戦は、Sauron対9人の旅の仲間たち、そしてSaruman対ホビットという二つの対立を最終的に完結させる。二人の敵をテーマにした論は多い(Chance; Dickerson; Flieger; Shippey)が、そこにGollumとGrímaの二人を絡めた論文は、既存の文献に比較的未開拓のようである。トールキンが描く「悪」は、しばしば「善」の堕落として描かれる。サウロンとサルマンは、本来「善」であったものが歪められて「巨大な敵」へと変貌を遂げた。その「巨大な敵」の破滅に最終的なとどめを刺すのが、ゴラムとグリマであるが、この二人の「悪」は必要悪の役割を担っている。水の辺村の合戦は『指輪物語』の最後を飾る戦いであるにもかかわらず、敵は最強のサウロンではなくサルマンである。トールキンが果敢に地上での現実的な悪や、凡庸な悪を描こうと挑んでいたことが、水の辺村の合戦に読み取れる。
2. 贖いのホビット
本章では、前章とは別観点から水の辺村の合戦を考察したい。まず、注目したいのはホビット、Frodoの非戦主義である。フロドは、はじめから首尾一貫して非戦主義だったわけではない。徐々に変容し最終的に水の辺村の合戦で、フロドは自分だけではなく、仲間にも非戦を訴える。水の辺村の合戦でホビット側は勝利を収めるが、戦わなかったフロドに賞賛や名誉は与えられない。フロドは癒えない傷跡に苦しみ、ついにはホビット庄を去る。「フロドの旅の終わりは、中つ国の記憶の中で「無」に等しい。フロドの痕跡は何も残らなかった」(186-7)とShippeyは述べるが、そうとは限らない。フロドの旅路は神のひとり子イエスの受難と死による贖い、そしてその結果として起こる共同体の救いというキリスト教真髄のメタファーとなっている。トールキンは、彼の造語である「幸せの大詰め」(eucatastrophe)を通して「良き知らせ」(evangelium)のきらめきを垣間見せるのが「妖精物語」であるとの持論を持っていた。福音書(Gospels)は「妖精物語」を包括すると主張するトールキンは、指輪の破棄という使命を成し遂げ中つ国を救ったフロドを、自らを世の罪の贖いのために捧げたキリストに重ね、神の人に対する愛を表現しようとする。

報告2.
論題:「アイデンティティの揺らぎ——北アイルランド点描」
報告者:佐藤亨氏(青山学院大学)
論旨:「アイデンティティ」とは、北アイルランドの「帰属」であり、同時に、その「素性」、「正体」である。アイルランドでありながらも英国、英国でありながらもアイルランド、同時にそのいずれでもない北アイルランド、その不安定さから生じる社会の対立や分断はいまも続いている。
1993年、当地(ベルファスト)を初めて訪問したときは紛争の真っただ中だった。街なかを装甲車が走り、わたしにとっては初めて見た「戦争」の風景であった。以来、臆病者が恐怖に引き込まれるように訪問を繰り返した。
1994年の停戦、1998年の「聖金曜日の合意」、2020年のブレグジット、あるいは、2021年度の国勢調査結果に見る宗派別人口の変化(カトリック系がプロテスタント系を上回る)など、当地はこの30年、多くを経験した。
発表では北アイルランドのこれまでと、いまを、当地での経験や撮影した写真を通して、点描してみたい。